にっき 2 2013~

 それは中学校に入学してからの事だった。周囲から妙な視線を感じるようになった。分類するなら敵意に近い視線だ。人前に出るのは少し怖くなったが、小学校からの友達とも新しい友達とも上手くやっていけたので特に対処はしないことにした。

 「それ」が明確に敵意を向けてきたのは6月の視力検査の時だった。私の順番になった時、「あの青い眼鏡ダサくない?」とクスクス笑う声が聞こえてきた。私自身、その眼鏡が自分に似合ってはいないと思っていたのでとてもショックを受けた。その声の主に睨み返す余裕はなく、ただ俯くばかりであった。

 視力検査をきっかけに様々な場面で悪口を言われるようになった。悪口の内容は覚えていないが、四六時中聞こえて来るので気が滅入る毎日だった。誰が私の悪口を言っているのか知ってしまうのが怖かったので、出来る限り下を向いて歩いた。下向いてるの不気味に見えるからやめろと友人に言われても。

 とはいっても全てにおいて不幸なわけではなかった。2月14日、同じクラスの女子から呼び出され、放課後に空き教室で手作りチョコレートをもらったのだ。手書きのメッセージも同封されていた気がする。非常に高揚した。もちろん3月14日にはお返しをした。手作りで返す勇気も器用さも持ち合わせていなかったので、コンビニで高めのクッキーを買って渡した。「ありがとう、嬉しい」と言ってくれた。私が彼女に告白を行う事を期待されている事を分かってはいたが、特に何もしなかった。

 私と彼女の関係が動いたのは終業式の日だった。いつものように帰ろうとすると、彼女と私達の共通の友人が校門の前に集まっていた。何を言わされるか分かったので見つからないように通り過ぎようとしたが駄目だった。彼らの要求はこうだ。「どうせ両想いなんだからここで告白しろ」。ここで逃げたら男じゃないとのこと。彼女とのやり取りで高揚したのは事実だ。しかし彼女を好きかというと分かりかねた。でも彼女は明らかに私の「告白」を待ち、それを言わなければ帰ることさえ叶わないので、「好きです、ぼくと付き合ってください」と言った。

 春休みにはデートに誘おうとした。田舎なのでろくなデートスポットは無かったが、周りのカップルは一緒に買い物に行ったり家に行ったりなどしていたのでそれを真似ようとした。でも「連絡先が分からないので」結局何もしなかった。

 春休みが明け2年生になった。クラス替えがあったのに相変わらず悪口は聞こえてくる。どうして放っておいてくれないんだろう。

 5月に入ってからは客観的にみてとても嬉しいことがあった。5月1日は私の誕生日であったため、彼女が誕生日プレゼントとしてタオルを贈ってくれたのだ。部活の準備をしていた私に照れながらも勇気をもって渡してくれたのだ。誕生日を教えてなかったから友達に聞いてまで渡してくれたのだろう。付き合ってから今まで私は彼女に何もしていないのに、彼女はそのことを責めなかった。

 彼女にプレゼントを返した方がいいと考えた。まず誕生日を聞いて、好きなものをそれとなく聞いて。友達にも感謝を言った方がいいだろう。そう考えはした。

 けれど少し前から、きっと最初から、考えていたことがあった。彼女達も、いや彼らこそ私の悪口を言い続ける集団ではないのか?と。

 私は重度の体調不良以外では学校を休んだことはなかった。学校に行くことが普通だった。とある月曜日にお腹が痛いから今日は学校を休むと敵001に言ってみた。それからは行かない事が普通になった。

 「体調不良」で休み続けるのは限度があり、また学校に行かない事を選択していることは察せられたようで、とある夜に敵001に学校に行かない理由を説明するように求められた。私は黙秘した。

 黙秘し続けると、敵001はついに泣き出してしまった。半分は気分が良かった。どうせこいつも私の悪口を言っているのに決まっている。

 敵002からは学校に行かなくてもいいが犬の散歩だけは絶対にやれと言われた。近所の人間や車が私を睨むのに。

 こうして不登校生活が始まった。昼間は楽しい事をすると罪悪感があるのでひたすら寝る。夕方になると行かないと怒られるので人目を避けながらコタロウとの散歩をする。そして深夜までゲーム。この繰り返し。繰り返し。繰り返し。

 学校に行かなくてよいお気楽な生活は全く楽しくなかった。同じ事を繰り返す生活は言うほどつまらないわけでは無かったけど、敵さえいなければ学校も行きたいし散歩も思いっきりしたいという思いが日に日に強くなったから。

 2か月不登校生活を続けたところで急に闘志が湧いてきた。私の行動が敵によって制限され、しかもそれに甘んじている事が許せなくなったからだ。私は母親に明日学校に行くと宣言し、実際にはその次の日に学校に行った。

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